「断章」

「断章」 原田伸雄(舞踏青龍会主宰)

《Ⅰ》 生命の根源に秘められたその秘密を素手で掴み取り体現していく行為を舞踏と名付けます。その摑み方に嘘があったり誤魔化しがあったりしたとき、人はその踊りをつまらないと思い、たとえ嘘であったとしても(舞台は虚の空間ですからそこで繰り広げられることは大嘘に決まっていますが)それが命懸けのものであれば人は共感し、その速度と強度に圧倒され、その無心な戯れに豊かな何かを感じ取るのです。

人はと言いましたが、自分にとっての人(他者)たる第一観客は他ならぬこの自分自身です。私には常に自分を預かっているという感覚があります。この預かっている自分ときっちり付き合わなければいけないという思いがあります。こいつは四六時中私の傍らに居て、私を挑発したり囁きかけたり駄目押しをしたりするものですから、私もそいつに同じことをしてやります。このやり取り、付き合いが面白い。みじめな時無残な時も含めて実に面白い。だから、孤独に倦むということが無い。

世界は私の分身たちに充ちています。だから、私の肉体と意識の消滅が世界の終わりであると同時に新たな世界の始まりでもあると思います。この目も眩むような星雲状の奇蹟は私の中で、私を越えてこの瞬間も刻々と生起し続けています。だから私は、死ぬことなどちっとも怖くはありません。ただ、この星雲に湯浴みすることを悦びとするだけです。

月例舞踏公演を始めて17ヶ月目の10月29日が間近です。相変わらず私の舞踏プランはまだ何も立っていません。タオル片手に風呂にでも行くように、切り立った崖から深い海へとこの身を投げるばかりです。(2009年10月22日)

《Ⅱ》公演お疲れさま。私は楽屋に居てあなたの本番は観ることが出来ませんでしたが、今でしか踊れないあなたの踊りを踊ることが出来たのではないかな。本番の板の上には魔物が棲んでいるので最後まで油断は禁物なのだが、舞台の成否の大半は既に板の上に上がる過程の踏み方で決まるものです。今回は、力みすぎて空転するでも無く、程良い加減の緊張感が保てているなという感じがしました。今頃はきっと祭の後のような心地良い虚脱感に襲われていることと思います。

私はと言えば、前回のLetterで生意気に「死ぬことなどちっとも怖くはありません」なんて書いたくせに、踊りの中盤位で無性に踊ることが、と言うことはつまりは死ぬことが、と言うことはつまりは生きていることが怖くなり、「怖いよう、怖いよう。」と心の中で叫びながら踊っておりました。可笑しいね。(2009年11月2日)

※2008年6月~2011年5月の3年間、毎月29日に福岡市内のSpaceTerra にて連続舞踏公演「肉体の劇場」を開催。その28回目の、元河合塾福岡校CQクラス(高卒認定・大学受験併願コース)原田ゼミのメンバーによる特別企画『ひびき─彼方からの 彼方への─』上演の際に作製したパンフレット(2010年9月29日発行)掲載の松田美幸との往復書簡「舞踏Letter」前半より抜粋。

 

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